2012年 06月 11日
PHOTO REPORT ~ 稲村からの夕日 ~ 稲村ケ崎@鎌倉 |
2012-6-1_18:23_稲村ケ崎から江ノ島
「武家の古都・鎌倉」として世界遺産登録を目指している鎌倉。
指定範囲としては鎌倉市だけではなく横浜市、逗子市も含まれているので3市共同の世界遺産となりますが、横浜市は朝比奈切通しの一部と緩衝地帯、逗子市は名越切り通しの一部と緩衝地帯が指定範囲なので9割以上は鎌倉市内ということになります。
※緩衝地帯とは「世界遺産に登録される資産の景観や環境を保全するためにその周囲に設定される区域」のことで、建築制限などが適用される場所のことです。
武家の古都鎌倉の要素として、次のことが挙げられます。
一、鎌倉は1185年(1192年ではなくなったようです)に源頼朝が樹立して以降、およそ780年間にわたって続いた武家政権が誕生した場所である。
二、戦って領土を獲得する武士が居を構えるにあたり、三方を山に、残りを海に囲まれた鎌倉の地形が理想的であること。(この具体的な遺構として切り通しがあります)
三、(鎌倉)武士にとっての中心的な倫理観や行動規範である「質実剛健」を、禅や茶の湯などを取り入れながら洗練・発展させ、それを政治理念構築や権力強化に利用できるほどまで高めた「政治的・文化的価値観=武家思想(文化)」の発祥の地であること。
四、そのような武家文化を具現化した建築・修行道場としての寺社(建長寺、円覚寺など)が数多く残っていること。
五、切り通し、寺社、三山一海の地形なども含め、鎌倉全体が人工物と自然地形を融合させた武士思想を表象したものであること。
これらを世界遺産登録のために必要な10個の評価基準のうち、
・現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
・歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
にあてはめています。
参考までに「古都京都の文化財」の評価基準は、
・建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
・歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
となっています。
具体的に京都にあてはめると、
・京都は8世紀から17世紀の間、宗教・非宗教建築と庭園設計の進化にとって主要中心地であった。そのように、京都は日本の文化的伝統の創出において決定的な役割を果たし、特に庭園の場合において、それは19世紀以降世界の他の地域において意義深い影響を与えた。
・京都の現存文化財における建築と庭園設計の集積は前近代における日本の物質文化のこの側面に関する最高の表現である。
となり、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、平等院、二条城、清水寺など17箇所が指定されています。
鎌倉にしても京都にしても、どちらも分かったような分からないような説明ですね。
世界遺産とは「人類が未来の世代に引き継いでいくべき財産(文化財や自然環境)」のことで、現在世界遺産の数は世界中に936件(2011年時点)、そのうち日本は16件です。
登録されるまでが色々と大変ですが、我々一般観光客にとっては登録される過程ではなく、登録された後の「世界遺産」(あるいは世界遺産の看板)に興味があるわけです。
稲村ケ崎は世界遺産緩衝地帯にギリギリ含まれる場所ですが、世界遺産の指定はありません。
今でこそ岩を切り崩して国道が走っていますが、かつては鎌倉幕府へ続く由比ヶ浜と七里ガ浜を隔てる天然の要所でした。元弘3年(1333年)、新田義貞が幕府へ攻め込むにあたり稲村ケ崎の崖と海に阻まれましたが、金の太刀を海へ投げ入れいると潮が引き砂浜から鎌倉幕府へ侵入することができた、と言われる場所です。
国道がなく、当時のままの面影を残していたらここも世界遺産に含まれていたかもしれません。
「世界遺産」という存在を、「今見るべき場所」として利用するのではなく「これからずっと残していくべきもの」を守るためにてほしいですね。
2012-5-12_16:43
/* ----- 鎌倉 - 神奈川 - 2012 - Nikon D700 ----- */
by kidai_y
| 2012-06-11 22:18
| 写真:日本