2012年 06月 14日
PHOTO REPORT ~ 江の島は変わらず ~ 七里ガ浜@鎌倉 |
2012-5-12_17:24
江の島ばかりに目が行ってしまうのは、多分地元に住んでいるわけではないからですね。
福井の住人がことあるごとに雄島について語ったりしないのと同じように、毎日見ている人は江の島といっても普段見慣れた日常の風景の一部なのですから、とりたててじっと眺めるほどのものでもないでしょう。
背景に富士山が見えていればまた格別なんでしょうけれど、残念ながら僕はまだその光景を見た事がありません。運が悪いのか、時期が合わないのか、いつかは見てみたい光景の1つです。
源頼朝が開いた鎌倉幕府。
征夷大将軍となった頼朝の子孫は、頼朝の嫡子である頼家(暗殺される)、そして頼家の弟実朝(この人もまた暗殺された)で途切れてしまいます。その後の将軍は九条藤原家や皇室から迎えることになりますが、政治の実権を握っていたのは北条一族です。
鎌倉政権の実権が源氏から桓武平氏の流れを引く北条氏へ移ったのは、源頼朝の妻である政子の功績が大きいと言われています。
北条家の家紋は、三角形が3つ山型に並んだ「三麟」というものです。
ある時、江の島弁財天に籠って子孫繁栄を願っていた北条時政のもとに女性が現れて、
『あなたは前世に六十六部の法華経を書写し六十六ケ国に奉納した功徳により子孫は日本を支配し、栄華を誇ることになるでしょう。 しかし、もし非道なことがあればたちまち家は滅亡します。よく身を慎まなくてはなりませんよ』
と時政に言い、大蛇に姿を変えて海の中へと消えました。
その時大蛇が落とした3枚の鱗を家紋にしたそうです。
北条時政は政子の父親ですが、頼家を排して実朝を将軍位に付け、
その後実朝の暗殺を謀りますが政子に阻止され失脚しまいます。
16代執権北条守時の代まで約130年間続いた鎌倉政権。
1333年に新田義貞に攻められ滅亡し、室町時代へと移っていくことになります。
新田家の家紋は「一つ引両」といい、円の中に横線が一本入った模様です。新田義貞とともに戦い、やがて室町幕府を開く足利尊氏
の足利家の家紋は「二つ引両」で、円の中に2本線です。
この線は、龍の鱗を表していると言われています。
江の島の大蛇は龍に勝てなかったということになるのでしょうか。
それとも北条一族が託宣通り源氏に「非道なこと」をしたために、清和源氏の血を引く新田義貞や足利尊氏により鎌倉幕府は滅ぼされてしまったのでしょうか。
江の島は誰が政権を握ろうと、どこが栄えてどこが滅びようと、変わらないでしょうけど。
/* ----- 鎌倉 - 神奈川 - 2012 - Nikon D700 ----- */
♪ 七里ガ浜スカイウォーク / アジアンカンフージェネレーション
by kidai_y
| 2012-06-14 22:11
| 写真:日本