2007年 12月 31日
旅文 02-08 「さてそろそろやまへ」 |
翌日の夕方、クマリハウスの前に行ってみると本当にトムさんやラル君、ディリップさんが他のネパールの若者たちと一緒にたむろしていた。
クマリを見たことがあるかと聞かれ、お金かかるから見てないと言うと、1人のネパールの若者(コックさんと名乗った)がついて来いと言って(彼は英語。日本語をしゃべられるのはラル君とディリップさんだけのようだ)クマリハウスの中に入っていった。クマリの化身に選ばれた少女は役目が終わり次の代のクマリが決まるまでこの家で暮らしている。年に一度のお祭りの日以外は外に出ることもあまりなく(最近ドキュメンタリー映画の宣伝でアメリカに行った現役クマリが役を解かれたそうだ)、団体観光客がやってきたときだけ仕方なく2階の窓からちょっとだけ顔を見せるのだそうだ。(下の写真はクマリハウス正面)
中庭に立ったコックさんは「外国人はだめだけど、ネパール人なら誰でもクマリを呼べるんだ」と言い、2階へ向かってネパール語で何か呼びかけて手をパンパンと叩いた。薄暗い中庭の石畳と薄茶色の建物の壁に拍手の音が響く。しばらくすると格子窓の隙間からちょこっと女の子が顔を覗かせた。なんだか、ありがたくない。むしろちょっとかわいそうな気がした。本当に信仰されている女神さまなのか?それともこの兄ちゃんが不謹慎なのか?と思ったものの、僕もそんなこと言える立場にない。どちらかと言うと、不謹慎なのは僕のほうだ。
ラル君とディリップさんが少し出かけてくるというので、トムさんとコックさんとで小さな一杯飲み屋に入った。標高1,400mのカトマンズ盆地は日が暮れると急に冷え込む。待っている間少し温まろうということになり、またもやコックさんが「ネパールの酒を飲んだことがあるか?」と言って馴染みの店に案内してくれたのだ。ネパールの地酒である、ドブロクのように白く濁ったチャーンという酒を飲んだ。米から作ったその酒は薄くて少し酸っぱくてほんのり甘く、あまり美味しくはなかった。カトマンズに到着した日にオリグチ君たちと入った食堂でサービスとして出てきた、米から作った蒸留酒のロキスィーという酒の方が、アルコールは強いが日本酒に近いぶん飲みやすいと思う。
用事があるというコックさんと別れ、ほろ酔いでラル君の自宅へと向かった。妹さんが作ってくれたダルバートを食べ(上の写真)、トレッキングについての打ち合わせをした。
日本語が堪能で気配り上手なラル君とディリップさんは、ガイドとしても申し分ないと一緒にトレッキングをしたトムさんが太鼓判を押していた。荷物も持ってくれるので手ぶらでトレッキングができるという。ディリップさんはちょっとお腹が出ていたが、ラル君は小柄でも体力がありそうだった。若い割にはトレッキングの経験もありそうだ。2人1組なので料金も2人分になりそうだったが、他の代理店で聞いたガイド1人分の料金と同じくらいだった。問題があるとすれば2人ともハッパが大好きだということくらいだ。でもたまに一服するくらいなので、タバコをバカバカ吸うヘビースモーカーのガイドよりは遥かにマシである。
できればエベレストの麓までいくコースに行きたかったのだが、お勧めはアンナプルナ方面らしい。道程もそれほどきつくはないし、温泉などもある。2人もエベレスト方面よりも行った回数が多く、宿などに知り合いが多いので何かと融通もきくらしい。それにエベレスト方面は治安が悪くなっているようだった。
2002年当時はマオイストの活動が活発になっていた時期だった。前年に起こった王室での銃乱射による国王交代で政治的に不安定な国内情勢の中、山間農村部を中心にネパール全体の5割くらいを実質的に掌握していた。エベレストがあるネパール東部の山間地域はマオイスト勢力の力が強く、警察や軍隊との衝突や爆破事件が頻発していた。マオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)とはネパール共産党武闘派が元となった武装集団で、王制打倒を掲げ生活基盤が豊かではない山間部や農村地域の貧困層を取り込み、草の根的な政治運動やテロ活動を行っていた。
現在(2007年)ではマオイストは政党の1つとなり暫定中央政府にも数名の閣僚を入閣させている。しかし武装解除を拒否するなど情勢は不安定であり国連管理の下で制憲議会選挙の準備が進められている状況であったが、2007年12月28日、暫定議会は賛成多数で「連邦民主共和国」を宣言し、240年あまり続いたネパール王制は幕を閉じることになった。
さて、迷いつつもアンナプルナサーキット(山群一周)に決めたと言ったら、ディリップさんが少し慌てた。
ポカラの北に位置するアンナプルナⅠ(8,091m)を最高峰として7,000m級の山々が連なるアンナプルナ山域のトレッキングコースは、ポカラから3泊4日程度で行けるコースに人気が集中していた。そのコースの中で一番標高が高く眺めも良いプーンヒルで3,200m、他は2,000m前後なので高山病の心配がほとんどなく、日本をはじめ世界中からやって来た山歩きの好きな老人たちを最も多く見かける場所だった。しかし外国人が多く森の中を歩くコースのため、山賊が多く出没するのもこの辺りだ。
しかし僕はアンナプルナ山をぐるっと一周するコースを選んだ。歩き通すのに2週間以上かかるが、5,416mの峠(トロン)を越えるというのに魅力を感じたのだ。技術と体力と経験が必要な「登山」ではなく、トレッキングでその標高まで行けるのだ。これはたまらない。ディリップさんはトムさんと同じように僕がお気軽コースを選ぶのだと思っていたらしい。確かに、そんなコースを選ぶ旅行者はあまりいないだろう。逆にラル君は久しぶりに一周できることが楽しみなようだった。
翌日、トレッキングの店でフリースのトレパンや分厚い靴下、手袋などを買った。昨日帰国したトムさんからユニクロの綿入りのウインドブレーカーを譲ってもらい、寝袋はラル君が用意してくれた。
細かい雨が降る中、2人と一緒に関係各所を回ってアンナプルナの国立公園入場料を払い、トレッキング許可証を取得した。明日の出発時間が早いということで、宿をチェックアウトし今晩はラル君の家で泊まることになった。
夕食は彼が焼きそばみたいなものと、オムレツみたいなものを作ってくれた。ダルバール広場の南側にある古いアパートのような建物の中にある彼の家は、建物の構造からか窓が少なかった。テレビにはネパールの妙なドラマが流れていた。
by kidai_y
| 2007-12-31 23:59