アジアのカケラ

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カテゴリ:アジアのかけら~いまでき~( 3 )

アジアのかけら~私たちにいまできること~ 18. がんばりましょう!

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2011_05_21_15:51



 漁師町らしいがっしりした体格と日焼けした顔の割には物腰が柔らかく丁寧な言葉使いのその男性は、以前気仙沼市内で塾の講師をしていたのだと言った。
 現在はこの気仙沼市本吉町の清涼院避難所の青年部代表をしていた。

 この地区はまだ水道が復旧しておらず(2011年5月21日の時点)、自衛隊の給水車が毎日給水を行っていた。お風呂は薪を使った五右衛門風呂だ。30人ほどが本堂で生活し、何軒かのお宅も小さな避難所として機能しているようだった。
 寺自体は高い場所にあるので津波の被害は無い。しかし海はすぐ近くで、同じ小さな地区内でも流された家と残った家の差がはっきりしている地形だった。

 僕は2日続けてこの避難所で作業の手伝いをしていた。
 昨日、青年部代表代理のメガネを掛けた細身の若者に「明日は来ないんですか、一昨日までいたボランティアさんは連続で3日間来てくれましたよ」と言われたせいもある。しかし僕自身がもう1日ここへ来てみたいと思ったからだ。

 住んでいる人たちみんなが、どこそこの誰々と言うと関係者も含め素性がすぐに分かってしまうような地域の結びつきが強い場所だった。そのため避難所としてだけではなく地域のコミュニティセンターとしての役割もしていて、色々な人がふらりと顔を出すようなアットホームな雰囲気だったのだ。
 他の避難所をいくつか見てきた人が、ここは信じられないくらい居心地が良いと言っていたのが分かる気がした。
「まあ住んでいる人たちの顔が狭いだけに、いろいろと問題もあるんですけどね」と代表が苦笑いしながらこっそりと僕に言った。

 各避難所へ配る配給食糧の仕分けも終わり、僕たちはブレハブの事務所で休憩をしていた。
「皆さんのようなボランティアさんに来ていただいて本当に助かっています。正直ここの作業自体は大したことはありません。でも来ていただけることが僕たちにはとてもありがたいことなんです」

 晴れてはいたが、明け方に激しく降った雨のせいでかなり蒸し暑くなっていた。
「狭い地域でずっとこんな状態でいると正直言って息が詰まってしまうんです。でもボランティアの皆さんがここに来てくれることでいろいろな方と話ができますし、ここ以外の場所との繋がりを感じることができるので気持ちが楽になれるんです」と彼は静かに話を続けた。
「僕は明日帰るので今日までしかここに来れないんです」と言うと、
「どうもありがとうございました。またいつか、この町に来てください。海が綺麗な場所ですから」
 そう言って彼は笑った。


 基本的にはそこにいる人たちが自分たちで乗り越えていくしかない。
 私たちはその手伝いしかできない。
 でも私たちのほんの少しの力が集まり、その集まった力が続いていけば、町や田んぼや海が少しずつ元に戻っていく。
 住んでいる人たちに笑顔が戻っていく。
 そしてそれはいつかまた私たちの笑顔に戻っていくのだと思う。


 避難所の事務所になっているプレハブ倉庫の壁には、力強い大きな字でありがとうございますと書かれた旗が貼られていた。いつの間にかそこにみんなが寄せ書きを残していくようになっていた。
 迷わずに僕はこう書いた。

 「みんなでがんばりましょう!」



/* ----- 気仙沼市本吉 - 宮城 - 2011 - Nikon D700 ----- */


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by kidai_y | 2011-07-13 22:17 | アジアのかけら~いまでき~

アジアのかけら~私たちにいまできること~ 17. 理由

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2011_05_18_12:16





「これだけぎょうさんの人でやるからできるんやろのう。こんなもん1人とか2人やったら手をつけるのも嫌んなるざ」
 丸顔の男性が言った。
「ほうやのう」と隣の男性が目の前の田んぼを見ながら相槌をうった。

 殆ど雲がない青空が広がり、屋根瓦や様々な漂着物、水で腐った衣類や毛布などが散らばった田んぼには強い日差しが降り注いでた。
 2km程先には海が見えた。そこからこの田んぼまで建物は何1つなかった。半壊した家が傍に残ってる。
 緑色のビブスを着けた10人の男女が1つ1つ、落ちている異物を取り除いていた。
 ビブスの背中には「チームふくい」と書かれていた。
 ほんの3日前に集まったばかりなのに皆さんとてもチームワークが良く、一緒に協力して手際よく作業を進めていた。休憩時間や食事のときも和気藹々とお話をされていたのが印象的だった。

 どうして参加されたんですかと聞くと、
「震災後から何かしたいと思っていて、県がボランティアバスを出してるというので参加した」
と答える方が多かった。
「2004年の水害の時に一乗谷で泥かきをしたことがありますが、県外で活動するのは初めてです」と僕が言うと、「ああ、そうですか。私はそこに住んでいる者です」と言った男性がいた。
 その人は安波賀に住んでいて水害の時はお宅も水がついたそうだ。当時も市内からはもとより全国からボランティアの方々が来てくださり大変お世話になったので、今回はその恩返しの意味もあって参加したのだそうだ。
 1997年の原油流出事故を引き合いに出す方もいた。


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2011_05_18_11:11


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2011_05_18_11:15




 各地のボランティアセンターでも神戸を始め関西圏から参加されている方が多くいた。駐車場に停まっている車も関西ナンバーを多く見かけた。聞いてみるとやはり、阪神大震災の時全国の皆さんに助けていただいたから、という理由でやってきた方ばかりだった。
「自分が西ノ宮で被災したときは自分と自分の周りの人のことで精一杯だったから、ボランティアの方々が大勢近くで手伝ってくれていたことに全然気が付かなかった。こうして今ここへ来て、ようやく自分たちが当時はたくさんの人たちに助けられ、支えられていたのだということを実感しました」
 阪急電鉄の運転手だという男性はそう言っていた。

 何かしたいから来た。
 助けられたから恩返しがしたくて来た。

 とても単純だけれど、誰にでも持つことができる、とても大切な理由だと思う。
 そして多分、場所が変わったとしても時代が変わったとしても、この気持ちがあればずっと繰り返しお互いを助けていくことが可能な、とても素敵な気持ちだと思った。


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/* ----- 陸前高田市 - 岩手 - 2011 - Nikon D700 ----- */


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by kidai_y | 2011-07-13 22:16 | アジアのかけら~いまでき~

アジアのかけら~私たちにいまできること~ 16. やるなら楽しく

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2011_05_19_16:08



 気仙沼市本吉町小金沢近く。
 その日は男性6人で丘の斜面の上の方にあるお宅周りの漂流物の撤去をしていた。
 300mくらい先に海が見える。 
 津波は傍を流れる小さな川に沿ってこの辺りまでやって来て、さらに上の畑にまで届いたそうだ。
 夏のような日差しの暑い日で、みな汗だくになりながら流木や廃材などを運んでいた。
 休憩中に上着を脱いだときの涼しさが心地よかった。

 この日一緒に作業をした方はそれぞれ鹿児島、福岡、愛媛、長野、山形から来ていて、お互いになんでそんなところから?と言い合うような場所に住んでいる人たちだった。
 長野から来た60代の男性が「ボランティアはがんばりすぎてはいかんのですよ。そこそこでやらないと結局自分にも周りにも迷惑をかけてしまいますからね。ま、私は一生懸命やりますよ!」と言いいながら折れてしまった植木を切断していた。
 昼食休憩の後、愛媛から来ていた男性がちょっと歩いてきますと行って休憩場所として使わせていただいているボランティア先のお宅の座敷から出て行った。
 暫くすると窓の向こうに見える山の斜面を登っている男性の姿が見えた。それを見て福岡の男性が「よくやりますよね~」と笑った。
「あの人はアウトドアの人ですからねえ」と、また長野の男性が言った。

 作業後町に戻り、僕は2時間ほど海の近くを歩いてボランティアセンターの駐車場に戻った。車中泊をしていたからだ。
 駐車場の端に設置されている自衛隊の入浴施設でお風呂を使わせてもらい、すっかり暗くなった19時頃、隣接する公園へ行ってみた。ここはテント泊の人たちがテントを張っていて、今日の作業メンバーは僕以外みんなテントを持参していたから様子が見たかったのだ。
 真っ暗な公園の中に小さな灯りが見え、近づくとお昼のメンバーがアウトドア用のテーブルや椅子を並べて食事をしていた。鹿児島の方は他の人と一緒に別の場所に居るようだった。携帯用のランタンの灯りがとても明るく感じた。
「こんばんは~」と僕が挨拶をすると、「いつ来るのかって心配してましたよ」と山形の若者が椅子を用意してくれた。
 テント設営が許可されている場所とはいえ辺りには住宅があるので、必要最小限の明かりを点け、カセットコンロを使い煙をなるべく出ないように調理をし、大きな声を出さないように注意しながら食事をしているようだった。
「もう食べ物はほとんどないんですけど、お酒はまだありますよ。そこのスーパーの店員がお勧めしていたお酒です」とカップ酒をコンロで温め始めた。それを聞いて長野の男性が「お勧めって、あそこの店にはその酒しか置いてないじゃんか」と笑った。
「夕方、加藤さん(今日の作業先)がネギをたくさん持ってきてくれたんですよ。あのお宅は結構有名なネギ農家みたいで、これもたぶんブランドネギとかじゃないんでしょうか」

 福岡の男性が傍に何本も積まれて置いてあるネギを指で示した。
「焼くから、食べたかったら悪いけど自分で洗ってきてね。水道は向こうにあるから」と愛媛の男性が言った。
 僕は太そうなネギを1本選んで泥を洗い流し、携帯コンロで焼いてもらった。
 甘くてみずみずしいとても美味しいネギだった。
「ネギ畑はあのお宅からもっと上の方にあるみたいですから良かったですね」と福岡の男性が言った。

 近くの自衛隊のお風呂からポンプの音が聞こえてくる。
 昼の暖かさがまだ残っていて気持ちのよい夜だった。
「どうしようか迷っていたんですけど、思い切ってここに来て良かったです。
ボランティアができたことももちろんですけど、こんな面白い良い人に会えたことがとても良かったです」
 山形の若者が何度も繰り返していた。

「ここの作業はゆるいよ。若者だったら石巻へ行け!あのきつい作業を経験してみろ!」     
 愛媛の男性が言った。
「まあ、私はもう歳ですからね、自分のペースで作業できればいいんですよ。あとは楽しいお酒があればねえ」
 長野の男性が少し呂律の回らなくなってきた口でそう言った。

「そろそろ消灯時間ですね」という福岡の男性の言葉を合図に、21時前にはきれいに片付けてそれぞれのテントに戻っていった。
 地元の若者が乗った原付バイクがけたたましい音を響かせながら走り去っていった。
 自衛隊の入浴時間も終わったようで駐車場の灯りもいつの間にかほとんど消えていた。
 辺りが急にしんとした。

 仙台市内でボランティアをしたとき、避難所スタッフの区役所職員さんが「やるからには楽しくやんないとね」といいながら救援物資の詰まった段ボール箱を運んでいたのを思い出した。

 そりゃそうだよなあと思いながら、僕は自分の車の方へ歩いていった。


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/* ----- 岩手 - 陸前高田市 - 2011 - Nikon D700 ----- */


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by kidai_y | 2011-07-12 23:13 | アジアのかけら~いまでき~