アジアのカケラ

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PHOTO REPORT ~ 女川カレーBOOK ~ 女川@宮城

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2012-9



 お家でカレーを作る場合、市販のカレールウを使うことが一般的だと思います。
 中に入れる具材は、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、お肉、が基本。
 市販のカレールウを使う場合、隠し味など加えずに作ったカレーが一番美味しく仕上がります。
 手順通りにすれば誰でも美味しいカレーを作ることができます。それは多分カレーと聞いてほとんどの人が思い浮かべる「普通に」美味しいカレーです。
 カレーはまた、作る過程で失敗する要素が少ないので、大量に作ったり、子供と一緒に作ったり、アウトドア料理としてキャンプ場などで作ったり、野外の炊き出しとして作ったりするのに適した料理でもあります。


 カレールウに何も加えない。
 それが簡単に美味しく作れる方法だと知ってはいても、ついつい自分なりの何かを加えたくなる衝動を抑えられないことがあります。
 何を加えるのかはここでは書きません。劇的には変わりませんがほんのちょっとだけ美味しくなる気がします。
 家庭の味、お家のカレー。
 いつも食事を作るおばあちゃん、お母さん、お父さんなども、おそらく自分だけの秘密の「何か」を加えているはずです。
 それが、その家のカレーの味になります。
 同じルウから、たくさんのカレーに広がっていくのです。
 そしてそのカレーの味は、子供の頃の記憶や、母親の記憶と重なって、自分だけの素敵な物語になるのです。


 「女川カレーBOOK」。
 鎌倉のスパイス会社が女川町でカレーの炊き出しをしたことがきっかけで誕生したカレーです。
 ルウやスパイス、2種類の豆がまるで本のような形で袋詰されています。
 寒い時期の炊き出しで食べた人の身体が温まるようなスパイスの配合になっているそうです。確かに食べると汗がじんわりと滲んできます。

 味はさっぱりです。
 やや薄めというより、とても薄い。
 だから、自分なりに味付けをしなくてはなりません。
 その味付けは、例えば「女川風」であったり、「◯◯家風」であったり、「自分流」「彼氏・彼女好み」「濃い目」「さっぱり味」「和風」「洋風」、作る人しだいで無限に広がっていきます。
 カレー物語の始まりですね。





  『女川カレーBOOK』は・・・

   「女川商工会」
     宮城県牡鹿郡女川町浦宿浜十二神60-3
      0225-53-3310

   「お魚いちば おかせい」
     宮城県牡鹿郡女川町小乗浜字小乗115
      0225-53-2739

   「コミュニティスペース おちゃっこ倶楽部」
     宮城県牡鹿郡女川町鷲神浜字堀切山51-6(女川町立病院 駐車場内)

  の他、東急ハンズ渋谷店などでも購入できるようです。
  詳しくはこちらのページでご確認ください。


  『女川カレー プロジェクト』
    ホームーページはこちら


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/* ----- 女川町 - 宮城 - 2012 - Nikon D700 ----- */



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by kidai_y | 2012-09-25 21:28 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ 女川の秋刀魚 ~ 女川@宮城

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2012-9-22_16:12



 僕の知っている女川町は、震災から2ヶ月が過ぎた2011年5月のものだ。
 横倒しになった交番やビルを始め、倒壊した建物や3階建てのビルの屋上に残された乗用車などがそのまま残されていた。
 アスファルトが剥がれて砂利になった道路の脇に、道路標識や「ようこそ女川町へ」と書かれた観光看板が横倒しになっていた。

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2011-5-25_14:52


 多くのものが失われていたはずなのだけれども、僕は以前のこの町の姿を知らないので、どこがどう変わってしまったのかを比較したり、思い出したりすることができなかった。
 かろうじて立っている鉄筋コンクリート製の建物が、町の面影をほんの少しだけ伝えてくれていた。 
 でもそれは、綺麗に身を食べてしまった後に残る頭が付いた秋刀魚の骨から、もとの姿を想像するくらい頼りないものだった。



 今は横倒しになった建物3棟の他は、ほとんどが撤去されている。
 港の端には漁業施設や保冷庫など新しく立てられたものもあるが、町の中心地は広い地面しかない。
 この状態から女川町を知った人は、町の姿を想像するどころか、本当に町があったのかどうかさえ、誰かに言われなければ分からないかもしれない。

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2012-9-22_16:56


 でも、今から女川を訪れる人は、仮設だけれども充実した商店街で買い物をすることもできれば、美味しいコーヒーを飲むこともできる。
 そして女川港で水揚げされた、丸々太って脂がのった秋刀魚定食を食べることもできる。
 昨年の5月には想像もできなかったことなのだ。

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さんまのお刺身





  『活魚ニューこのり
    場所 : 宮城県女川町小乗浜字小乗87-2
    電話 : 0225-53-2134
    時間 : 11:00~17:00
    定休 : 火曜日
    ブログはこちら

  『希望のかね商店街』
    場所 : 宮城県仙台市太白区四郎丸字吹上73-14
    電話 : 0225-53-3100





/* ----- 女川町 - 宮城 - 2012 - Nikon D700 ----- */



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by kidai_y | 2012-09-24 21:06 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ 海は怖くない ~ 女川町・宮城県

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2011_07_29_10:54



宮城県女川町の沿岸にある指ヶ浜集落。

この辺りには小さな湾と山に挟まれた狭い土地に家が並んでいた。
並んでいた、というのは津波によりどの集落も尽く家や建物がなくなっているからだ。

海から緩やかな斜面が続き、その先の山の麓に空き家がある。
皆そこに避難したのだそうだ。

その少し下には小さな川にかかる橋がある。
散歩をしていたおばあさんが、津波の時はその橋が水没してしまったのだと教えてくれた。

その橋の隣の空き地に、この集落の仮設住宅が建っていた。
同じような津波が起きたらこの仮設住宅も水没してしまうのではないかと思った。

僕は「海は怖くないの?」と尋ねてみた。
おばあさんは何を馬鹿なことを聞くんだといった様子で、「怖くなんかないよ」と言った。

「生まれてからずっとこの集落で海と一緒に生きてきた。だから海は怖くない。
 また建てられるならもっと海の近くに家を建てて、海を眺めながら暮らしたい」

とおばあさんは言った。




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2011_07_29_13:14

桐ヶ崎の集落にあった昭和8年の津波のときの記念碑
「大地震の後には津波がくる。地震があったら津波の用心」


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2011_07_29_13:59

同じく桐ヶ崎の漁港。大潮の時はこの車がある場所は完全に冠水するそうだ。



/* ----- 女川町指ヶ浜 - 宮城 - 2011 - Nikon D700 ----- */


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by kidai_y | 2011-08-02 21:57 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ 残った声  女川町・宮城 ~

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2011_05_25_14:08



僅かに残った建物の屋上にあるスピーカーからは今はもう何も聞こえてこない。

以前の町の様子を知らなくて良かった。

もしここが自分の慣れ親しんだ場所だったらとても普通に歩くことはできないだろう。

自分は今まで思っていたよりも強く無いんだなと思った。



/* ----- 女川町 - 宮城 - 2011 - Nikon D700 ----- */


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by kidai_y | 2011-05-28 23:50 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ 季節が変わって  女川町・宮城 ~

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2011_05_25_16:19



最初の頃は花なんてどこにも無い町を歩いていた。

辺り一面、茶色と灰色ばかりだった。

やがて梅が咲き、水仙が咲き、桜が咲き、つつじが咲いた。

そして今、藤の花が夏のような青空の下で満開になっている。

力強く咲いている花を見ると、少しずつ、町が明るさを取り戻してるような気がした。


/* ----- 女川町 - 宮城 - 2011 - Nikon D700 ----- */


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by kidai_y | 2011-05-25 23:20 | 写真・東日本大震災