アジアのカケラ

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そろそろそろそろ


旅文「ネパール・トレッキング編」

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ようやくはじめます。

これまでの話はこちらにまとめてあります。
http://www.ajikake.com/ajikake/futeiki/top.htm
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by kidai_y | 2008-07-11 23:59

旅文 02-08 「さてそろそろやまへ」


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 翌日の夕方、クマリハウスの前に行ってみると本当にトムさんやラル君、ディリップさんが他のネパールの若者たちと一緒にたむろしていた。
 クマリを見たことがあるかと聞かれ、お金かかるから見てないと言うと、1人のネパールの若者(コックさんと名乗った)がついて来いと言って(彼は英語。日本語をしゃべられるのはラル君とディリップさんだけのようだ)クマリハウスの中に入っていった。クマリの化身に選ばれた少女は役目が終わり次の代のクマリが決まるまでこの家で暮らしている。年に一度のお祭りの日以外は外に出ることもあまりなく(最近ドキュメンタリー映画の宣伝でアメリカに行った現役クマリが役を解かれたそうだ)、団体観光客がやってきたときだけ仕方なく2階の窓からちょっとだけ顔を見せるのだそうだ。(下の写真はクマリハウス正面)
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 中庭に立ったコックさんは「外国人はだめだけど、ネパール人なら誰でもクマリを呼べるんだ」と言い、2階へ向かってネパール語で何か呼びかけて手をパンパンと叩いた。薄暗い中庭の石畳と薄茶色の建物の壁に拍手の音が響く。しばらくすると格子窓の隙間からちょこっと女の子が顔を覗かせた。なんだか、ありがたくない。むしろちょっとかわいそうな気がした。本当に信仰されている女神さまなのか?それともこの兄ちゃんが不謹慎なのか?と思ったものの、僕もそんなこと言える立場にない。どちらかと言うと、不謹慎なのは僕のほうだ。
 ラル君とディリップさんが少し出かけてくるというので、トムさんとコックさんとで小さな一杯飲み屋に入った。標高1,400mのカトマンズ盆地は日が暮れると急に冷え込む。待っている間少し温まろうということになり、またもやコックさんが「ネパールの酒を飲んだことがあるか?」と言って馴染みの店に案内してくれたのだ。ネパールの地酒である、ドブロクのように白く濁ったチャーンという酒を飲んだ。米から作ったその酒は薄くて少し酸っぱくてほんのり甘く、あまり美味しくはなかった。カトマンズに到着した日にオリグチ君たちと入った食堂でサービスとして出てきた、米から作った蒸留酒のロキスィーという酒の方が、アルコールは強いが日本酒に近いぶん飲みやすいと思う。

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 用事があるというコックさんと別れ、ほろ酔いでラル君の自宅へと向かった。妹さんが作ってくれたダルバートを食べ(上の写真)、トレッキングについての打ち合わせをした。
 日本語が堪能で気配り上手なラル君とディリップさんは、ガイドとしても申し分ないと一緒にトレッキングをしたトムさんが太鼓判を押していた。荷物も持ってくれるので手ぶらでトレッキングができるという。ディリップさんはちょっとお腹が出ていたが、ラル君は小柄でも体力がありそうだった。若い割にはトレッキングの経験もありそうだ。2人1組なので料金も2人分になりそうだったが、他の代理店で聞いたガイド1人分の料金と同じくらいだった。問題があるとすれば2人ともハッパが大好きだということくらいだ。でもたまに一服するくらいなので、タバコをバカバカ吸うヘビースモーカーのガイドよりは遥かにマシである。
 できればエベレストの麓までいくコースに行きたかったのだが、お勧めはアンナプルナ方面らしい。道程もそれほどきつくはないし、温泉などもある。2人もエベレスト方面よりも行った回数が多く、宿などに知り合いが多いので何かと融通もきくらしい。それにエベレスト方面は治安が悪くなっているようだった。

 2002年当時はマオイストの活動が活発になっていた時期だった。前年に起こった王室での銃乱射による国王交代で政治的に不安定な国内情勢の中、山間農村部を中心にネパール全体の5割くらいを実質的に掌握していた。エベレストがあるネパール東部の山間地域はマオイスト勢力の力が強く、警察や軍隊との衝突や爆破事件が頻発していた。マオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)とはネパール共産党武闘派が元となった武装集団で、王制打倒を掲げ生活基盤が豊かではない山間部や農村地域の貧困層を取り込み、草の根的な政治運動やテロ活動を行っていた。
 現在(2007年)ではマオイストは政党の1つとなり暫定中央政府にも数名の閣僚を入閣させている。しかし武装解除を拒否するなど情勢は不安定であり国連管理の下で制憲議会選挙の準備が進められている状況であったが、2007年12月28日、暫定議会は賛成多数で「連邦民主共和国」を宣言し、240年あまり続いたネパール王制は幕を閉じることになった。

 さて、迷いつつもアンナプルナサーキット(山群一周)に決めたと言ったら、ディリップさんが少し慌てた。
 ポカラの北に位置するアンナプルナⅠ(8,091m)を最高峰として7,000m級の山々が連なるアンナプルナ山域のトレッキングコースは、ポカラから3泊4日程度で行けるコースに人気が集中していた。そのコースの中で一番標高が高く眺めも良いプーンヒルで3,200m、他は2,000m前後なので高山病の心配がほとんどなく、日本をはじめ世界中からやって来た山歩きの好きな老人たちを最も多く見かける場所だった。しかし外国人が多く森の中を歩くコースのため、山賊が多く出没するのもこの辺りだ。
 しかし僕はアンナプルナ山をぐるっと一周するコースを選んだ。歩き通すのに2週間以上かかるが、5,416mの峠(トロン)を越えるというのに魅力を感じたのだ。技術と体力と経験が必要な「登山」ではなく、トレッキングでその標高まで行けるのだ。これはたまらない。ディリップさんはトムさんと同じように僕がお気軽コースを選ぶのだと思っていたらしい。確かに、そんなコースを選ぶ旅行者はあまりいないだろう。逆にラル君は久しぶりに一周できることが楽しみなようだった。
 
 翌日、トレッキングの店でフリースのトレパンや分厚い靴下、手袋などを買った。昨日帰国したトムさんからユニクロの綿入りのウインドブレーカーを譲ってもらい、寝袋はラル君が用意してくれた。
 細かい雨が降る中、2人と一緒に関係各所を回ってアンナプルナの国立公園入場料を払い、トレッキング許可証を取得した。明日の出発時間が早いということで、宿をチェックアウトし今晩はラル君の家で泊まることになった。
 夕食は彼が焼きそばみたいなものと、オムレツみたいなものを作ってくれた。ダルバール広場の南側にある古いアパートのような建物の中にある彼の家は、建物の構造からか窓が少なかった。テレビにはネパールの妙なドラマが流れていた。
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by kidai_y | 2007-12-31 23:59

旅文 02-07 「軌道修正」


 風邪がまだ少し残っていて身体はまだ本調子ではない。何より連日30℃を遥かに越えていたタイに比べて春先の日本のように気温が低く、天気も穏やかで過ごしやすいのでついついのんびりしてしまっていた。
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 インドラチョークをぶらぶらき、ダルバール広場のシヴァ寺院の階段の上まで登って日に当たりながら広場を行きかう人を眺める。たまには結婚式のパレードが鳴り物で囃しながら賑やかに通り過ぎていく。横では暇そうなネパールの男たちが同じように眼前に広がる広場を眺めていた。たまに話しかけられたりトレッキングを勧められたりするのだが、適当に相手をしつつぼーっとした時間を過ごしていた。
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 腹が減ると近くのローカル食堂に入り、モモという餃子みたいな食べ物を注文して食べ、寺院や建物に施された彫刻や仏像が祀られている小さな祠などを眺めながらあてもなく歩く。そんな風にしているといつの間にか日が暮れかけていて、辺りは薄青い影に包まれ始めていた。
 ダルバール広場を横切っていたとき、ネパール人の若者に呼び止められた。日本語でだ。胡散臭いなあと思ったのだが、向こうに彼の友人の日本人がいるので一緒に話しませんかと言うので行ってみた。
 クマリハウスの前には濃いサングラスを掛けた丸刈りでがっしりした体格の日本人と、キアヌ・リーブス似の色白で小柄なネパール人の若者が立っていた。ちなみに、僕に声を掛けてきた若者は黒褐色の肌で巻き毛のキューピーみたいな雰囲気だ。カトマンズのネパール人には日本人に良く似た顔立ちの人もいれば、北インドの人のように黒褐色の肌で堀の深い顔立ちの人もいる。キューピー君が、自分みたいな人種は「ネパーリ」と言い、キアヌ君のようなタイプは「ネワーリ」というのだと頼んでもいないのに説明してくれた。ネパールの民族は実際にはもっと複雑に入り組んでいるようだ。また、外見は違うが2人ともヒンドゥー教徒だった。ネパールもそうだしバルカン半島に行ったときも思ったことだが、民族と宗教というのはとても複雑でデリケートな要素だ。それに比べれば、日本はなんて単純なんだろう。
 サングラスさんは一見すると悪役のプロレスラーみたいな印象だったが、よくありがちな「サングラスを外すと人の良さそうな小さな目」というパターンそのままの人だった。何年か前にここへやってきてキアヌ君とキューピー君のガイドでトレッキングへ行って以来、ちょくちょくカトマンズに来ては彼らと遊んだりトレッキングへ行ったりしているという。今回も、すでに帰国した別の日本人男性と一緒に4人でランタン方面へトレッキングに行ってきたのだそうだ。トレッキングをしそうな感じには見えなかったので、サングラスを外したときの顔といい、人は見かけによらないものである。まあ、彼にはカトマンズへ来るもう1つ別の目的があるようであったが。
 ネパール人の友人たちにトム(ツトム)さんと呼ばれていた彼は、キアヌ君をラル、キューピー君をディリップと紹介してくれた。ラル君もディリップさん(彼は自分のことを自分でさん付けする)も、おそらく独学で身に付けたのであろう日本語がとても上手だった。しばらく立ち話をした後、トムさんが今回のトレッキングの時に撮った写真がすでにできているというので、宿へ行って見せてもらうことになった。
 ここしばらくの体調不良とのんびりした待ち歩きで忘れそうになっていたが、実は僕がネパールに来た目的はトレッキングなのだった。ヒマラヤ山脈を直に見てみたかったし、山歩きは好きなのでこの機会に思いっきり歩いてみようと思っていた。また、かつてNHKスペシャルか何かでヒマラヤ奥地のムスタンという国(今はネパールの一部)についての番組を見て、できればそこへ行ってみたいと漠然と思っていた。街をぶらぶらしながらも何件かのトレッキング専門の旅行代理店を回ってはいたものの、ガイド付きのトレッキングは結構費用がかかるので、ルートやガイドの有無を含めて検討中だった(ムスタンに関しては気軽なトレッキングのレベルを超えていて、費用もバックパッカー風情がおいそれと払えるような金額ではなかったので早々に計画から外していた)。彼らと会ったのは偶然だが、ちょうどよいタイミングだった。
 ラル君も自宅からトレッキングの時に撮った写真を持ってきてくれた。青い空、残雪、黒い肌の山々、日本ではなかなか見られない風景と、トムさん、ラル君、ディリップさんの解説でますますトレッキングに行きたくなってきた。
 普段はクマリハウスの前でたむろしているというので、また明日の夕方会うことを約束して宿に戻り、ガイドブックを取り出してトレッキングコースをあれこれ考えながらいつの間にか眠っていた。
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by kidai_y | 2007-12-30 23:59

旅文 02-06 「屋上日和」


 昨日食べた甘いお菓子で胃がもたれたのか、風邪のせいなのか、おなかの調子が悪いので散歩も早々に切り上げ、宿の屋上でハガキを書くことにした。
 宿は5階建でそこそこ眺めは良かった。ちょうど日本の晴れた春の日のようにぼーっと霞がかかったような青空で、遠くの山々の稜線が曖昧になっていた。じっとしていると結構暑い。ペラペラしたプラスチック製の椅子とテーブルがあったのでそこに腰掛けながら10枚ほどハガキを書いた。
 旅行者は誰も屋上には上がってこなかったが、宿のスタッフらしいネパール人の兄ちゃん達がタバコを吸ったり、街を眺めたり、お喋りしたり、休憩場所として利用しているようだった。

 ハガキも書き終わり街を見ながらあれこれ考え事をしていると、こんどはネパール人の女の子がやってきた。たった今シャワーを終えたようなバスタオルを巻いただけの裸足のその女の子はひたひたと僕の斜め前くらいに来てすっとしゃがみこんだ。濡れた長い黒髪の先やバスタオルの端からぽたぽたと水滴が落ちて屋上のコンクリートに何本かの筋を作っていた。目のやり場に困るというよりもちょっと怖い感じがして、彼女の方をあまり見ないようにしながら春先の霞んだ空を眺めていた。
 ふいに彼女は立ち上がって、また同じようにひたひたと屋上から降りていった。
 足跡と少しの水溜りが残っていた。

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by kidai_y | 2007-11-05 23:59

旅文 02-05 「お湯問題」


 いままでいた東南アジアの安宿ではあまり気にしたことがなかった。別になくても構わないと思っていた。
 しかしカトマンズに来て宿を決める条件の最重要項目になったことがある。
 お湯だ。
 熱いシャワーが使えるかどうかだ。
 タイやカンボジアでの水シャワーには慣れていたが、さすがに気温が10℃を下回ると水を浴びるのはきつい。最初に泊まった宿はお湯がふんだんに出たものの値段もそれに見合うものだった。オリグチ君が宿を移るのも無理はない金額だ。僕もその後2度ほど宿を替えているが、理由はもちろん湯が出ないからだ。宿を選ぶときは必ず部屋を確認し、「ホットシャワー、オーケー?」と湯が出るかどうかを確かめることにしている。「オーケー、ノープロブレン」と宿の兄ちゃんに言われ、確かにお湯が出ることを触って確認してもなぜだか2日に1回は水しかでない。
 だんだん分かってきたことなのだが、基本的に安宿のシャワーから出るお湯は屋上に置いてある黒い色のタンクに貯めてある水が日光で温められたものなのだ。当然、タンクが空になれば水しか出なくなる。曇りや雨が続くとタンクそのものが暖められないので、お湯ができない。宿によっては電気湯沸かし器で水を温めているところもあったが、故障したり宿の兄ちゃんが電源を入れ忘れたりで、満足に湯を使えないことも多い。
 オリグチ君お勧めのこの宿も、外窓はないものの廊下側には窓があり1人分にしてはもったいないくらい広い部屋でなかなか居心地は良い。しかし、やはり昨日はお湯が出なかった。オリグチ君はたまに街で会うと夕食を一緒に食べたりしていたが、今朝早くポカラに発ってしまった。入れ替わりで僕がこの部屋に入ったのだ。彼は水シャワーでも気にしそうにないタイプだったし、文句を言うわけにもいかず、僕も半ばお湯問題に関しては諦めかけていたのでしばらくはこの宿にいることにした。
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by kidai_y | 2007-10-19 23:54

旅文 02-04 「カトマンズ歩き」


 安宿や旅行代理店など旅行者に必要な店が多く集まっているタメルから南に進み、日用雑貨や土産物などを扱う店が並ぶ通りを抜けるとアサン広場に出る。
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 3階建てくらいの建物に囲まれた小さな広場なのだが、6本の道がこの広場に繋がっていて、野菜や日用品、お菓子や土産物などを売る荷車やリヤカーなどがあちこちで商売をしているので毎日非常に込み合っている。そういった露天に加えて、歩行者、自転車、リキシャー、オートリキシャーまでがそれぞれの道から道へとこの広場を経由することになるので、ゆっくり歩くこともままならないくらいの状態になっている。でもどこかのんびりした雰囲気があり、人が多くてもギスギスした印象を受けないのはなぜなのだろう。
 最初のうちは、この広場まで来て次の道を残り5本から探すのによく間違えてとんでもない方向に歩いていったこともあったが、南西方向に伸びる道がインドラチョークという、旧王宮へ続くメインストリートだ。とはいっても、くたびれた4階建て程度の建物に挟まれた細い通りである。
 しかしほとんどの建物の1階は地元の人が利用する雑貨屋から、絨毯屋、衣料品店、食堂、観光客向けの土産物屋までびっしりと軒を連ねていて、他の路地にはない賑わいがある。オートリキシャーがけたたましい警笛を鳴らし排気ガスと土ぼこりを巻き上げながら頻繁に通るので騒がしいときもあるが、いろいろな店を覗きながら歩くのは楽しい
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 少し歩くとまた広場に出る。細かい彫刻の入った木造の寺院や旧王宮などに囲まれたダルバール広場だ。ダルバールというのはネパール語で「宮廷」の意味があり、かつてのカトマンズ王国の中心だったところだ。現在の王宮はタメルの近くに移ってしまっているが、クマリハウス(女神クマリの化身とされる少女が暮らす家)をはじめ、ネパールで最も古い建物とされているカスタマンタブ寺院や、シヴァ寺院などが立ち並ぶ、カトマンズ市民にとっての(そして観光客にとっても)街の中心だ。
 この広場の南西の路地を1本入ると様子ががらっと変わって生活感溢れる光景を目の当たりにする。土産物屋などはなく、人々の暮らす家(アパート状のもの)がひしめき、食料品店、雑貨屋などがあまり舗装されていない道の脇にぽつぽつと見える。ここまで極端に雰囲気が変わるのには驚いた。
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by kidai_y | 2007-10-16 23:59

旅文 02-03 「スワヤンブナート」


 オリグチ君が一泊5,5ドルが苦しくなり宿を移るというので僕も別の宿に移動することにした。今までの宿と同じタメル地区にある安宿で、ツインの部屋しか空いてないが安いしホットシャワーも使えるというのでしばらく滞在することに決めた。風邪の治りかけに水シャワーは禁物だ。
 まだ鼻声は治っていないものの動けるようにはなってきた。ネパールへ着いてからまだほとんど歩いていないので、リハビリも兼ねてカトマンズ中心部にあるタメルから西へ3キロほどの丘上にあるスワヤンブナート寺院へ行ってみた。
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 3キロ歩いた後の400段の階段上りはなかなか疲れたが、上った先の大きな仏塔を前にしたら疲れも吹き飛んでしまった。
 周りの壁にずらりと並んだ重厚なマニ車。
 怪しい目つきで四方を見つめている仏陀の目。
 金色に輝く尖塔。
 その天辺から空に広がり風にはためく五色のタルチョー。

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 想像していたネパールが揃っていた。
 かつてカトマンズ盆地は湖だったそうで、その湖に浮かぶ唯一の島がこの丘だったのだそうだ。そのため仏教での神聖な場所と考えられこのような立派な仏塔が建てられたのである。
 丘の上からはカトマンズ盆地を見渡すことができた。白壁レンガ色の低くて細々した建物がみっちり並んでいる部分はそれほど広くない。アンコールワットから見渡すカンボジアの大地はほとんどが地平線だったが、ここは周りを山が取り囲んでいる。どことなく日本を思わせるのは、その山々のせいかもしれない。
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 しかし日本と決定的に違うのは、とにかく汚いということだ。いたるところにゴミが捨てられている。さすがに道のそこらじゅうがゴミだらけということではない。道路脇の斜面や町中を流れる川がゴミで埋まっているのだ。手の付けられない状態になっている。
 また、舗装されてない道路の細かいチリが舞うのか排気ガスのせいなのか少し歩いただけで喉が痛くなる。マスクが欲しくなるほどだ。実際に排ガス等による大気汚染が寺院や建物を汚染し、カトマンズ盆地は世界遺産ではあるが同時に危機遺産としても指定されている。
 想像していなかったネパールを目の当たりにした。
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by kidai_y | 2007-09-17 23:59

旅文 02-02 「風邪のカトマンズ 2日目」


  部屋をシェアしているオリグチ君は、父から借りてきたという少し古めのマニュアルカメラを持っていた。絞りが開放から動かず、ピント調整もできない(固定された一定の距離でしかピントが合わない)壊れた50mmレンズが付いていた。マニュアルカメラの使い方もよく分かっていないらしく、カトマンズ行きの飛行機の中で僕が教えてあげて、ようやくレンズに問題があることに気が付いたようだった。
 部屋でおとなしく寝ているとオリグチ君が外から戻ってきた。24枚撮りフィルムを入れていたのに36回もシャッターが切れたと言って、うれしそうに近くの写真屋へ現像しに出かけた。うとうとしていた僕は、適当に返事をしてまた眠ってしまった。
 夕方戻ってきた彼は、えらくがっかりしていた。やっぱり24枚しか撮れていなかったらしい。オリグチ君、君のカメラはレンズに問題があるだけじゃなくカメラ本体も壊れているようだ、という気力もなくまた眠りに落ちた。

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by kidai_y | 2007-09-15 23:59

旅文 02-01 「風邪のカトマンズ」


 カトマンズに着いて早々風邪をひいてしまうなんて全くついていない。
 原因は分かっている。

 1、バンコクから乗った飛行機の冷房。
 うっかりTシャツのまま乗り込んでしまったのだ。

 2、ダッカで1泊したとき。
 乗客は適当に振り分けられ僕は韓国人の男性と一緒の部屋になった。彼はネパールでアクセサリーを作る仕事をしているそうで、ヒッピー然としたいかにも長期旅行者の風貌をしていた。
 部屋は広くて綺麗だったが冷房が壊れていた。天井の大きな扇風機は、今にもハネがもげて飛んで来そうなくらい不安げな音をたてて酷い速さで回転するので恐ろしくて点ける事ができなかった。彼はその事について従業員に猛抗議し、部屋が変わった。満足した彼は一晩中冷房を点けっ放しにしたため、うっかりそのまま寝てしまった僕は見事に体調を崩してしまった。

 3、雨のカトマンズはタイの暑さに慣れた身体には寒すぎた。 
 飛行機が雲を抜けると、山に囲まれた茶色い街が見えた。湿ってひんやりとした空気、周りを取り囲む山々、昔夏休みに家族と行った信州の小さな村にいるような感覚になった。
 バンコクは連日30℃を越えていた。空港の外でカバンに付けている小さな温度計を見ると、18℃。すでにのどが痛くなっていた僕には余計寒く感じた。

 体調に不安があったので、宿は普段の自分にしてはよい所に泊まることにした。一緒の飛行機に乗っていた大学生のオリグチ君とツインをシェアして1人5,5ドル。背に腹は変えられない。

 4、薄い長袖シャツしか持っていなかったにもかかわらずオリグチ君と、ワーホリ上がりのトオル君と夕食を食べに行き、冷え込む夜の町を徘徊してしまった。また、その店のサービスで出された強い地酒(ロキシという蒸留酒)で半端に酔ったおかげで、ただでさえ熱で頭が痛くてふらふらなのに益々寒気が増してしまった。料理の味など分かるわけがない。

 発熱。悪寒。咳。鼻水。喉痛。頭痛。関節痛。倦怠感。食欲不振。風邪の諸症状の展示会のような状態になった。自業自得だ。
 出発前に友人から餞別に貰った薬箱から、カプセルの風邪薬と袋入りの葛根湯を出して飲んでみた。両方飲んで効き目も2倍、になるのだろうか。収納箪笥から予備の蒲団も引っ張り出して(宿代奮発して良かった)、今はとにかく寝るだけだ。
 
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by kidai_y | 2007-09-14 23:59

旅文 01-17 「ちょっとダッカ」


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 囲まれている。
 よく知っているタイやカンボジアなど東南アジアとは違う、色が黒く彫りの深い顔がたくさん集まってきた。自分は今明らかに異国にいるのだと実感する。
 朝食後、空港へ出発するまでの1時間半ほどの待ち時間に宿の外を散歩してみることにした。散歩といってもこの宿に着いたのは昨晩遅くで周りに何があるのかも分からず、バングラデシュの通貨も持っていないので、迷子にならない程度に宿の近くをうろつくことしかできなかった。
 そもそもネパールへ行くはずがなぜこんな場所にいるのかと言えば、タイからネパールへ一番安く飛ぶ飛行機がビーマンバングラデシュ航空だったからだ。途中ヤンゴンで1時間以上トランジットして、日がすっかり暮れた頃にダッカに到着。ここで一泊後ネパールへは明日の昼過ぎに着く。安いのはこういうことなのだ。ちなみに機内食はカレーだ。
 このZIA国際空港では荷物の紛失や盗難、貴重品を抜かれるなどの悪評を多く聞いていたので、荷物を預けたままにはせずに一旦引き上げることにしていた。しかしいつまでたっても荷物が出てこず、出てきたと思ったら手続きがちっとも進まない。職員はたくさんいるようなのだがだらだらと手際の悪い仕事ぶりで、結局マイクロバスが宿に着いたのは22時を回っていた。
 
 ビジネスホテルのモーニングサービスのような朝食を食べ、外へ出ると思ったより暑くはなかった。ただ日差しは強い。
 宿の周りは建設中なのか建設途中のままほったらかしにされているのかわからない骨組みだけの鉄筋の建物や、低いビルがあった。民家のようなものは見当たらない。舗装された大きな道路があり、この辺りから西の方でよく見ることになる派手に飾り付けられた大型トラックや
二階建てバスなどが走っていた。大型バスが屋根に50人くらい人の人を乗せているのを見たときは衝撃を受けた。テレビで見たことがある!
 少し向こうにある交差点は信号がないので、ポリスが1人で交通整理をしていた。指示に従わず、ショートカットをして曲がろうとするリキシャードライバーの頭を警棒で思い切りぶっ叩いているのが面白かった。それも1台や2台ではないのだ。
 宿と舗装道路との間は土ぼこりの舞う広い空き地のような歩道のようなスペースがあった。そこにはたくさんのリキシャーが停まっていた。客待ちをしている風でもなく、そもそもそれほど多くの客がこの付近にいるとも思えないのだが、とにかくたくさんいた。

 集まってくるリキシャードライバーのためのチャイ屋がいくつかあった。
 黙ってじーっと見られているときは不気味だったが、僕の周りに集まってきたリキシャーのおっさんたちは実はとてもフレンドリーで、傍のチャイ屋でチャイをおごってくれて、ぶら下がっているバナナもくれて、ビンロウみたいなものもくれた。ビンロウは相変わらず不味かった。
 そんなこんなで空港に出発する時間が来た。
 やっとネパールだ。


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by kidai_y | 2007-09-13 23:59