アジアのカケラ

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PHOTO REPORT ~ 変わったこと ~ 雄勝@石巻

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2012-9-22_15:07



 大きく変わってはいますが、まだまだ先は長いです。


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2011-8-10_11:35




/* ----- 石巻市 - 宮城 - 2012 - Nikon D700 ----- */



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by kidai_y | 2012-09-27 21:40 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ どちらを選ぶか ~ 石巻@宮城

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2012-9-22_14:55



  実際にこの場所に立ってみると、「新北上大橋のたもとにある交差点」よりも、裏山の方が近いことを実感します。
 石巻市立大川小学校以外の建物は残っていないので、2つの場所を簡単に比較することができます。距離感もつかみやすい。
 当時の、建物が周りに建っていた状況だったら、なおさら建物の向こうにある高台になっている交差点よりも、すぐ裏に見える斜面の方に進みたくなってしまう気がします。

 「津波てんでんこ」
 つまり、
 「それぞれが自分の判断で周りを気にせずとにかく高い方に逃げる」
 という判断をしていたらどうなっていたのかな、と思ってしまいます。

 もしも自分がその状況にあったらどうだろうと想像してみる。
 仲の良い友達とか、クラスの気になる子とか、多分気になってしまう・・・。
 判断力や行動力も大切ですけど、必要なのはとにかく強い気持ちなんだと思います。



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2011-7-25_14:34



 この付近の地図はこちら


/* ----- 石巻市 - 宮城 - 2012 - Nikon D700 ----- */



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by kidai_y | 2012-09-26 21:55 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ 1つ1つの灯り ~ 石巻市・宮城県

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2011-12-13_16:50 旧北上川・石ノ森萬画館



旧北上川に近い登り口から日和山公園へ続く急な坂道の途中。
西の空の下の方はまだほんの少し明るかったけれど、それも日和山の陰にほとんど隠れてしまっていて、急速に下がっていく気温とともに辺りはどんどん青みを増し、色を失い続けていた。

奥から右手の方へ流れている旧北上川の中州に卵型の白い建物が小さく見えた。
宮城県出身のマンガ家、石ノ森章太郎の作品を展示している石ノ森萬画館は未だ休館中だ(2012年1月12日現在、現在の様子はブログ「MANGATTAN NEWS!」で紹介されています)

橋に点いている照明が卵型の建物から石巻市街へ光の筋になって、両岸の街の灯を繋いでいた。
日和山の北側にある石巻駅を中心とした場所は旧北上川に近い場所ほど浸水が激しく大きなダメージは受けたものの、泥の除去や清掃が済み以前のように使われている建物が多い。

この写真を見た人が「随分明るくなったんだろうね」と言った。
以前のこの街の光を見たことがないので今の状態が明るいのか暗いのかは分からない。
でも街に光が灯る光景を見ていると、どことなく暖かくてほっとする気持ちになる。
小さな窓の灯り1つ1つに、そこに暮らす人たちのいろいろな日々の出来事が詰まっているからなんだ思う。


/* ----- 石巻 - 宮城 - 2011 - Nikon D700 ----- */





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by kidai_y | 2012-01-12 22:19 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ 積みあがってしまった、その後は ~ 石巻市・宮城県

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2011-12-13_14:35



 散らばっていた瓦礫やゴミはある程度片付けられ、倒壊した家屋の撤去も進み、町の様子は随分変わった。
 重機を使った大規模な作業はもちろん、スコップ1杯分、一輪車1台分、土嚢袋1個分、両手で掴める分、その積み重ねの成果だ。

 でも、町がすっきりしていく半面、町の中にどんどん大きな山が増えていく。
 宮城県で少なくとも338万トン、岩手県で57万トン。年間一般廃棄物量に対して宮城県で19年分、岩手県で11年分の量がどこかしらに積み上げられている。これを処理するのは県内だけでは到底不可能である。

 環境省が2011年4月に発表した段階では、震災瓦礫処理の受け入れを表明していた自治体は42都道府県の572市町村・一部事務組合。しかし10月には11都道県の54市町村・一部事務組合に減ってしまった。

 理由として処理費用の問題に加え、焼却灰に含まれる放射性物質の対応が問題になっている。
 焼却灰1キロあたり放射性セシウム濃度が100ベクレル以下なら放射性廃棄物には相当せず、一般ゴミとして原発敷地外でも処分可能(昭和38年施行の原子炉等規制法の規則)だそうだ。金属や木材のリサイクルもできる。
 環境省は今回埋め立て可能な基準を8000ベクレル以下としている(この基準の増加が現場の混乱を引き起こしている一因になっているのは確か)。

 県外受け入れを要請している瓦礫のうち、たとえば岩手県普代村では39ベクレル、宮城県石巻市では116ベクレル。基準の8000ベクレルを大きく下回っている。

 瓦礫を引き受ける自治体としては住民の合意を得ることが必要になるし、義捐金や支援物資を送ったり、避難者を受け入れるのとはまた状況が異なってくるので早急な対応は無理だと思うが、瓦礫の処理もこれから必ず解決してかなくてはならない事案の1つである。

 神奈川県は以前から受け入れを表明しているが、黒岩知事が1月7日に岩手県宮古市を訪問し瓦礫の処理状況や放射性物質の検査体制などを視察。あたらためて受け入れに前向きなコメントを発表した。
 東京都は11月から受け入れを開始している。

 今まではどんどん高くなっていった瓦礫の山が、少しでも早く低く低くなっていってほしいと思う。
 その積み上げに僕も協力しているのだから、なおさらそう思う。


<参考>
震災がれき「受け入れない」6割 東西で意識格差」(産経新聞 2011年12月30日)
岩手11年、宮城19年分…震災がれきと風化」(産経新聞 2011年12月20日)
東日本大震災:神奈川知事、がれき受け入れ「可能」 宮古で線量検査を視察」(毎日新聞 2012年1月8日)



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日和大橋から北上川上流方向




/* ----- 石巻 - 宮城 - 2011 - Nikon D700 ----- */





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by kidai_y | 2012-01-10 19:42 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ 未来のためのこども ~ 石巻市・宮城県

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2011_12_13_15:02



東の空、冬枯れした桜の木の奥。
赤い光は今にも家並みや工場のシルエットの向こうに隠れようとしていた。
空は急速に青みを増していき暗くなるにつれて気温がどんどん下がっていく。
石巻の日和山公園から見える町は街灯も家の灯りもないので暗いままだ。


大学生の男の子と話をした。
卒業論文の調査のため2日前に仙台に来た。
石巻の雄勝中学校(宮城県石巻北高校飯野川校に仮移転中(2011年12月21日現在))での調査の帰りに日和山公園に立ち寄ったのだそうだ。

研究のテーマは被災地域の復興における学校の役割といったもの。
災害の時、そして災害後の町づくり、地域づくりをしていくうえで学校がどう機能していくのかということらしい。


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つまりは、町や地域が未来へ続いていくためには子供がいなくてはならないということ。
子供がいない町はいずれは誰もいなくなってしまう。
その町を担っていく子供がいてこその町づくりであり復興であるので、学校の存在というのはとても大きなものなのだそうだ。

雄勝中学のように元の校舎が使えなくなったり、周辺地域に居住できなくなってしまうと、学校移転を余儀なくされる。
本来いるべき場所に子供がいなくなってしまうのだ。
そうなるとその場所はそこで途切れてしまうことになりかねない。


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聞き取り調査で訪れた学校の子供たちの元気に圧倒されたそうだ。
「ここから遠く離れた地元で教師を目指しますが、今回の出会いを生かして地元との学校とこちらの学校との交流ができればいいと思っています」
急激に冷え始めた石巻の空気に少し震えながら、今回お世話になった先生方や生徒たち、その他の場所で出会った人たちとの出会いを大切にしたいと彼は言った。
僕も上着のポケットに手を入れたまま「先生になって実現させてよ」と言った。


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2010_10_甥っ子です




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by kidai_y | 2011-12-21 21:02 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ 12月の日和山公園から ~ 石巻市・宮城県

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2011_12_13_16:12



夕暮れ間近の石巻市日和山公園の展望広場で、年配の女性グループが眼下に広がる町とその向こうの海を見ながら話していた。
聞こえてくる会話から、その人たちは地元に住んでいるわけでも関係者が近くにいるわけでもなさそうだった。
視察という雰囲気でもないし、小旅行の途中に立ち寄ったといった風だった。

日和山公園から海の間にあった町は今は無い。
ほとんど瓦礫が取り除かれ更地のようになった住宅街、津波の勢いに耐えた鉄筋建築物や寺の屋根など、今でも形をとどめている建物がポツリポツリと見える。
向こうの海岸線に沿うように廃棄された車が積み上げられ壁のようになっている。

「立派なお寺があるんだからこの辺にはお家がたくさん建っていたんでしょうね」
そう誰かが言った。

今の状態を初めて見る人には、ここに町があったことをイメージすることは少々難しいかもしれない。
アスファルトがはがれ土ぼこりが舞い、潮が満ちるとすっかり冠水してしまっていた道路も多くがかさ上げされ
舗装されている。
頻繁に行きかっていた自衛隊車両の姿もない。

でも、今の姿から想像することはできる。
あれこれ話し合うこともできる。
運が良ければ地元の方の話を聞けるかもしれない。

実際に見ることは大切だと思うし、今でもいろいろなものを感じることができる。


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2011_12_13_16:09


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2011_12_13_16:06



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by kidai_y | 2011-12-19 21:06 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ ラジオ体操で温まり ~ 石巻市・宮城県

 



ボランティアセンターの作業前にこのおらほのラジオ体操が流れたそうです。
聞きなれているはずのラジオ体操なのに聞きなれない掛け声に笑顔になり、身体もほぐれ、一石二鳥ですね。

週末は寒くなりそうです。
ラジオ体操でもして温まりましょう。
あとは乾布摩擦とか・・・。

いつ~、ぬ~、さん~、すぅ~。



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by kidai_y | 2011-12-16 20:30 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ 目に見えないゴール ~ 石巻市・宮城県

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2011_12_13_13:58



 9ヶ月。
 被災地は一歩一歩着実に”復興”に向かって歩み続けています。

 交通の便は良くなり、物資不足も解消され、ライフラインもほぼ元通りになり、瓦礫の撤去も発生直後から比べれば目を見張るものがあります。
 陸前高田や南三陸などでは「復興市」が賑わいを見せています。
 確かにいろいろな物事が前へと進んでいます。

 ではそのゴールはどこにあるのでしょうか。
 「復興した!おめでとう!」と言えるのは、どんな状況になった時なのでしょうか?

 「災害関係の研究をしている学生に『復興はいつになりますか?』という質問をされました。正直分からないと答えました。町や暮らしが元通りになれば復興したと言えるかもしれない。でもそうなっても、いつまでも悲しい記憶が忘れられない人もいるでしょうし、そういう方にとっては復興したとは言えないでしょう」
とボランティアセンタの方が言っていました。

 それぞれにはそれぞれのゴールがあり、もう既にテープを切ってしまっている人もいれば、一生かかってもゴールにたどり着くことはできない人もいます。
 またそのゴールはこういう条件を満たしたからとか、システマティックに決められるものでもないでしょう。

 僕たちはそのゴールの線を引くことはもちろん、ゴールに向かって手を引いて連れて行ってあげることもできません。
 なぜならその人が自分でテープを切らないといけないと思うからです。

 でもゴールまでの道を歩きやすいようにしたり、足元をほんのり照らすことくらいはできます。
 声をかけることもできます。
 辛抱強く待っていることもできます。

 そしていつか、一緒に言えるのがたった1人の人だけだったとしても「復興したねぇ。嬉しいねぇ。頑張ったねぇ。」と笑えるようになりたいです。


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by kidai_y | 2011-12-15 19:52 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ 方言と人と町 ~ 石巻市雄勝

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2011_08_10_12:53



「方言は地域文化の象徴的存在であり、地域的アイデンティティの拠り所である」

(小林隆「われわれがなすべきこと―震災のなかの方言を前にして―」 出典:東北大学国語学研究室『東日本大震災と方言』2011年10月)


言葉は私たちが日常生活を送る上で欠かせないものであり、地域環境や文化に大きく影響を受けた地域ごとの独自性を持つものです。同じ文化でも「年中行事」や「風習」「祭り」などに比べて、「方言」は身近な存在であり過ぎるが故にその価値が見過ごされてしまわれがちです。
受け継がれた独特の祭を毎年行っている子供たちも普段は標準語に近い言葉を使い、年寄りの言葉が分らなかったりします。地元の年寄りの方言を耳にするより、テレビの中の標準語(ひどい言葉を使う方も多いですが)を聞く方が多いのです。


交通網の整備やインターネットメディアの発達、情報通信技術の整備が進み、大都市に人口や文化発信源が集中している現代においては、以前よりも地方と都市の文化的境界が曖昧になり、地域ごとの特徴が薄められ、生活習慣や文化の平均化が加速度的に進行しています。
日本全国どこの県でも放送されているテレビ番組の7割は同じネット局のものでしょう。放送曜日や時間は地域差がありますが、ニュース番組はもちろん、ドラマ、ゴールデンタイムの娯楽番組ならたとえ北海道から沖縄へ出張したとしても宿泊先のホテルで先週の続きを見ることができる状況なのです。


しかしそのような状況は、地方の独自性が失われていく原因になると同時に、地方独自のオリジナリティを外へアピールするチャンスにもなります。

祭り・風習・景観、郷土料理、そして方言。
見ること、味わうこと、聞くこと。

それらが一緒になって独自の魅力を作り出し、周囲に向けて発信していくことがこれからの地方文化に求められていくのではないかと思います。




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写真は石巻市雄勝町の中心部です。
御覧のように津波による甚大な被害を受けた地区の1つです。
このような地区が東北の太平側沿岸には数多くあります。

それぞれの地域には当然そこに暮らす人々がいて、受け継がれる風習や祭りがあり、産業があり(雄勝は硯石が取れるため硯生産が盛んです)、語られる言葉があります。

住む人がいなくなった場所では祭りを続けることも、言葉を受け継ぐこともできなくなってしまいます。町とともに文化も失われていってしまうのです。
「復興」の取り組みの中には、防災対策、インフラ整備、産業の再生だけでなく、そこで暮らしていた人たちが受け継いできた文化や言葉をどのように現状把握し将来に残していくかということも含まれなければならないと感じました。

見過ごされたり、後回しにされがちなことですが、大切なことだと思います。



/* ----- 石巻市雄勝 - 宮城 - 2011 - Nikon D700 ----- */




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by kidai_y | 2011-10-13 20:22 | 写真・東日本大震災

PHOTO REPORT ~ 変わってしまった風景と続いていく暮らし ~ 網地島・宮城県石巻市

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2011_08_12_14:19



網地島も当然ながら津波の被害を受けている。

石巻市街地や対岸の男鹿半島などに比べると一見被害は少ないように見えるが、網地浜港に面した家屋は倒壊し、港自体も地盤沈下でかさ上げしないと船が着けられない状況だ。
なにはともあれ、津波による直接の犠牲者がいないのが不幸中の幸いだ。(停電による在宅酸素設備停止が原因で亡くなられた方が1人いる)


大潮で冠水した港に今も放置されたままの車の上でカモメが羽を休めていた。
島の様子は変わってしまったが、カモメも、島で暮らす人にとっても、これからも生活が続いていくのだ。

長渡浜の港に近い場所にある小さな商店のおばあさんが、「観光客がだんだん減ってきているのに、地震のせいで今年はさっぱり人がこなくなってしまった」と言っていた。
40年住んでいるがあんな津波は初めてだとも言った。
店内の木棚に、30センチくらいの高さの水跡が残っていた。

町のスーパーに比べたらほとんど何もないような雑貨店だが、保冷ケースの中のサイダーはとても良く冷えていた。
時折生ぬるい風が吹き込む店先の網戸の前でゆっくりと冷たいサイダーを飲み干し、僕はその店をあとにした。


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白浜海水浴場。東北一の透明度らしく毎年この時期は多くの海水浴客で賑わうようだが、今年はほとんどいない。
以前ここに来たことがある人に写真を見せたら、砂浜がだいぶん少なくなってしまったらしい。

鮎川から来ているという草刈りをしていたおじいさんも、津波で砂が持っていかれたから大分砂浜が減ったと言っていた。
きれいな海岸なのになあと。

もちろん今でも十分きれいな水だ。


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網地港のフェリー乗り場へ続く道路。元の岸壁は完全に水没し、土嚢を並べかさ上げした道が応急措置的に作られていた。


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by kidai_y | 2011-08-16 23:32 | 写真・東日本大震災