2011年 06月 27日
アジアのかけら~私たちにいまできること~ 11. それぞれの話 弐 |

2011_05_21_18:23
宮城県 気仙沼市 女性(40代) --------------------------------------------------
家は山側にあるため、最初は逃げなかったが、「尋常じゃない津波がくる」とアナウンスが入り高台へ避難した。
海に白い波が見え「津波が来た!」と周囲が騒いだがいったいどれくらいの高さかわからなかった。
テレビが見れていた人からは「気仙沼は火の海だった」といわれるが、実際は消防車は出動できずサイレンも無く、テレビも映らないため、分からなかった。ただ海の方の空が赤かった。
翌朝になって、そこらじゅうで煙があがり、そして沿岸部が水浸しになっており、気仙沼が大変なことになったと知った。
全容を知るようになるのは、電気が来て、テレビが見れるようになった数日後であった。
中心に居る人ほど、何もわからないのだと思った。
今では空いている日は毎日ボランティアに参加している。
何も技術もない、力もない自分でも毎日何かしらやることがある。

2011_05_17_17:58
千葉県市川市のOLさん(30代) --------------------------------------------------
自分のお姉さんが気仙沼に嫁いでいて、被災した。
お姉さんは、目の前が気仙沼港のデイケアセンターに務めていた。
大きな地震があり、サイレンが鳴り響き、「尋常じゃない津波がくる」とのアナウンスが流れる。大急ぎで上階に移動したが、どんどん高さが増し、3階まで波が来た。
みんなで助け合いながら屋上に避難した。
第1波より、第2波の方が大きかった。5~6回くらい津波は来た。
建物はコンクリートの頑丈な建物であったが、大きな船やイカ釣り漁船が次々とビルに向かってきて、 「ぶつかったら終わりだ」と思い怖かった。
屋上で1晩を過ごす。近くで火の手が上がる。
翌日助けが来た。本当に怖かったが、全員無事でよかった。
千葉でテレビを見ていた親族は、気仙沼市上空の映像を見て、
「もうお姉さんはだめだ」と泣いたという。
数日後に携帯が通じた。まさか無事とは思わなかった。
思い切って今週1週間会社を休み、お父さんとボランティアに来ている。

2011_05_21_18:31
岩手県 釜石市 男性(40代)~メールより --------------------------------------------------
ご無沙汰しております。
釜石の実家は津波で流された(全壊)ものの、おかんは無事だったので何より。
昔から地震と津波には敏感な地域なので、「これはただごとではない」と察知して地元住民全体で高台に避難したようです。
ただし、日にちが経つにつれ地域被災情報が明確になることで、親戚含め知り合いの方の死亡も確認され、とてもいたたまれない気持ちでいっぱいです。
連休は地元に戻ってきましたが、想像以上の被災状況で言葉が出ませんでした。
とはいうもの、残っている人達の支え合いや前向きな姿勢は本当にすごい!TVの報道でも紹介されているとおり、人は支えあって生きていることを実感したのと、色々な恩義は絶対忘れてはならないと思いました。
それよりお友達、出産前後での避難所生活は相当大変な生活だろうよ。まだ、避難所が続いているようなら、こちらを優先で考えてあげてください。
皆様にもよろしくお伝えください。

2011_05_21_18:26
/* ----- 気仙沼・鹿折 - 宮城 - 2011 - Nikon D700 ----- */
by kidai_y
| 2011-06-27 23:18
| 写真・東日本大震災

