2011年 09月 05日
PHOTO REPORT ~ 300メートルの隔たり ~ 大島・宮城県気仙沼市 |

2011_08_28_06:38
宮城県の気仙沼大島へは、気仙沼港のエースポートからフェリーで25分。
亀山の上から見ると気仙沼の町が目と鼻の先に見えるくらいの距離しか離れていない。
2018年までに、気仙沼市内と大島を結ぶ大島架橋が300メートルの大島瀬戸の間に建設されることになっている。
道路で繋がれば、日常生活品や食糧などの運搬はもちろん、水道、ガス、食糧、医療、そして災害時の救援活動に至るまで、島の暮らしは今と比べて楽になるはずだ。
本来ならカーフェリーで乗用車を始め復旧のための重機やトラックも大島へ運べたはずなのだが、震災の時は大型のフェリーが使える状況ではなかった。フェリーも被害を受けていたからだ。当時は定員数の少ない連絡船しか運航させられなかったそうだ。
そんな大島の支援にあたったのが米軍の「トモダチ作戦」だ。
東松島市の野蒜でも同様の活動が行われたのは以前リポートしたが、この支援のおかげで随分助かったと島の方が話していた。
大島瀬戸の海底を通る水道が折れてしまい大島への水の供給が断たれ、学校のプールの水を飲まなければならない状況だったそうだ。
また気仙沼港の石油タンクから重油が海に流れ引火したことによる火災が起こったのは当時の報道でご存じだと思うが、その炎は約300メートルの距離を渡って大島にも飛び火し、山火事が発生したそうだ。気仙沼市側(北西側)の斜面の松林が焦げているのを見て、当時の火災の被害は非常に広範囲に渡っていたのだと感じた。
島のお年寄りはトモダチ作戦で米軍が大島へやってきたとき、津波と火災で何もなくなってしまった町にヘリコプターで米軍兵士が降り立ち食料などを配ってる様子を見て「まるで戦後のようだ」と思ったそうだ。
亀山の展望台で会った島の男性が、笑ってそう教えてくれた。
今でこそ笑い話になっているが、震災直後は本当にそういう雰囲気だったのだろうし、大島だけでなくいろいろな場所がそういう状況だったのだろう。
大島浦の浜港は砂利でかさ上げされ、瓦礫が積み上げられていた。
かつて土産物屋が連なっていた場所にはほとんど建物が残っていない。
宿の方にきれいな浜だと教えてもらった田中浜にも、瓦礫や廃棄された車が並んでいた。
現在運行されているカーフェリーは、広島県江田島市から無償で貸与されたものだ。
宿を利用する宿泊客は、ほとんどがボランティア活動で大島へ来ている人達だそうだ。
全てが元に戻るのはまだまだ時間がかかるだろう。
でも島の周りに広がる海や空は変わってはいない。
今ならフェリーで25分、300メートルの距離はあっという間だ。
ボランティアだけでなく、そろそろ観光でも大島へ行って欲しいと思う。
こんな素敵な夜景が見られるのだから。

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気仙沼港のエースポート。
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奥に見えるのが亀山。
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田中浜。/* ----- 気仙沼大島 - 宮城 - 2011 - Nikon D700 ----- */
by kidai_y
| 2011-09-05 23:27
| 写真・東日本大震災


