2011年 11月 07日
Photo Stream ~ コスモス畑の中で ~ 宮ノ下・福井県 |
2011_11_01
このコスモス畑にも毎年のように行っているのですが、花が植えられている田んぼは移動しているもののコスモス畑のある場所は同じですし、咲いているコスモスの種類もほぼ代り映えしないのではっきり言ってどのコスモスの記憶がいつの年のものやらだんだん区別が付かなくなってしまいます。
でも、たとえばあの年は生まれて8か月の甥っ子のコスモス畑デビューの写真を撮ったとか、この時は珍しく誰かと一緒だったとか、そういうことがあるとコスモス畑の記憶に「甥っ子がちっとも笑わず(眠かったのかな)大変だった」とか「コスモスバックで写真を撮るんだからもっと笑えと言われた(眠いわけではなかったのですが)」などの感情や会話が追加されます。
そうなると、ただのコスモスがなかなか忘れられない思い出になるというわけです。
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ということは誰かと一緒にいるということが思い出に繋がりやすいということなのでしょうか。
僕は1人旅が好きで、というかむしろ旅は1人でするものでしょ、という主義です。
寒さで毛布にくるまりながら見上げたサハラ砂漠の月も、クリスマスイルミネーションで彩られたスペインの町も、集まった大勢の人たちが発するざわめきを聞きながらアンコールワットの背後から登る朝日を見ていた時も、たいてい1人でしたがとても綺麗だったし今でもよく覚えています。
でも1人でいた時の感動よりも、旅の途中で一緒になった旅行者と行動をともにしていたときとか、旅先で出会った現地の人たちと会話にならない会話を楽しんでいたときとか、そういうことの方がより印象に残り覚えている気がするのも確かです。
まあだからといって1人旅より誰かと旅した方が良いというのではなくて、どちらにもそれぞれの良さがあるのです。要はその時その時を楽しみましょう、ということが言いたいのです。
そんなことを、1人コスモス畑の中に立ってしみじみ思ったわけなのです。
これは何なんでしょ?
/* ----- 福井市 - 福井県 - 2011 - Nikon D700 ----- */
♪ 花の写真 / スピッツ
by kidai_y
| 2011-11-07 23:48
| 写真:日本