2012年 03月 01日
PHOTO REPORT ~ ほっかむりで ~ 津軽・青森 |

2012-1-20_9:16
----- 金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これといふ特徴もないが、どこやら都会ふうにちよつと気取つた町である。善く言へば、水のやうに淡泊であり、悪く言へば、底の浅い見栄坊の町といふ事になつてゐるやうである。-----(太宰治『津軽』より)
五所川原市金木町には太宰治の生家があります。
太宰治記念館「斜陽館」と呼ばれるこの建物は、明治40年(1907年)に太宰治(本名:津島修治)の父、津島源右衛門が建てた豪邸です。戦後津島家が手放した後、昭和25年(1950年)に斜陽館という名前の旅館になました。
平成8年(1996年)に旧金木町が買い取り、名前が引き継がれ今に至っています。
これらの経緯から斜陽館の名前は、没落していく人間たちを描いた太宰の小説からとったと思われます。
これに対し、太宰が小さいころ兄弟でよく遊んでいた、母の部屋の襖に書かれた漢詩の中に「斜陽」の文字があり、これが斜陽館の由来になったという話もあります。
しかしわざわざ漢詩の中からその文字だけを抜き出して旅館の名前にすることは不自然な感じがします。
太宰が自分の小説に沿ったタイトルを考えている時に、母の部屋に書かれていた斜陽をあてはめ、太宰の生家を使った旅館の名前にしたというのがもっともらしい理由なのではないでしょうか。


だいぶ昔に斜陽館内を見学したことがあるので今回は入りませんでした。
もしかすると僕が入ったのは旅館の頃だったのかもしれませんが、もうよく覚えていません。
木造の、とにかく大きくて造りの上等な家でした。
親がこんなに立派な家を建て、兄もそれを受け継ぎそれなりの地元の名士になっていたのでは、太宰がひねくれてしまう気持ちも理解できる気がします。
当時は建物の前には駐車場くらいでなにもなかったと思うのですが、今では金木町の物産館や銀行などが建っていて記憶とはだいぶ違っていました。
今までの話には全く関係ないのですが、津軽地方では狛犬にほっかむりをするのだそうです。
理由がわからないので、誰かご存知の方は教えて下さい(鎌倉にもあるそうです)
いかめしい顔でもほっかむりをすると、ほっとなごんでしまいますね。

青森県北津軽郡中泊町中里

青森県北津軽郡中泊町中里
----- 金木の生家では、気疲れがする。また、私は後で、かうして書くからいけないのだ。肉親を書いて、さうしてその原稿を売らなければ生きて行けないといふ悪い宿業を背負つてゐる男は、神様から、そのふるさとを取りあげられる。所詮、私は、東京のあばらやで仮寝して、生家のなつかしい夢を見て慕ひ、あちこちうろつき、さうして死ぬのかも知れない。-----(太宰治『津軽』より)
太宰も他人の目を気にして見栄ばかりはろうとするのではなく、ほっかむりで街をずかずか歩ける男だったらもっと長生きできたのかもしれません。

/* ----- 津軽・金木 - 青森 - 2012 - Nikon D700 ----- */
平成24(2012)年津軽の冬編・・他の記事は、
「青白の世界」
「じゅうさんこのしじみ」
「道は竜飛へ」
「ほっかむりで」
「津軽のストーブ列車」
「津軽の笑顔」
「郷土富士のいわきさん」
by kidai_y
| 2012-03-01 23:34
| 写真:日本

