2012年 06月 21日
PHOTO REPORT ~ えんちゃんちの佐藤さん ~ 天童@山形 |
2012-6-16_15:06
山形県天童市の「えんちゃんファミリー農園」ではこの日(2011年6月16日)、今年初めてのさくらんぼの収穫が行われていました。
3年前に脱サラして家業の農家を継ぎ、さくらんぼをはじめとして様々な農作物を作っている遠藤さん。カメラを向けると「俺はいいんだよぅ~」と困ったように笑いながらも、真剣な目で実を間引いていきます。
美味しい実にするには適度な間引きが必要なのだそうです。
今回初めて“鈴なりの”さくらんぼの樹を間近に見たのですが、本当に真っ赤な実がたくさん肩を寄せ合うように生っていました。
1つの蕾から6つの花が咲き、その花ひとつから8つの実ができます。まだまだ寒い3月頃から間引き作業を始めないと6月に粒の揃った美味しい実が収穫できません。
毎年、間引き具合を変えたり、肥料の量を調節したりしながら、品質の良いさくらんぼになるように試行錯誤をしながら育てているそうです。
いろいろ話をしてくれる遠藤さんからは、さくらんぼに対する愛情が伝わってきました。
これは紅秀峰。紅が付くのはアメリカンチェリー系だそうです。
主に栽培しているのは、やはり「佐藤錦」。
甘くて粒が大きな佐藤錦は国内で栽培されているさくらんぼの中でも一番の人気だと思いますが、価格も他のさくらんぼと比べて少々高いために、高級な果物というイメージがあります。
実は日本一さくらんぼの生産量が多い山形県の栽培面積のうち、8割は佐藤錦です。ということは、収穫量が少ないために高価なのではなく、佐藤錦自体の価値が高いということなのですね。
佐藤錦は大正11年(1922年)、山形県東根町の佐藤栄助さんによって品種改良されて誕生した品種です。本人は「出羽錦」と名付けたかったそうですが、友人によって「佐藤錦」にされてしまったということです。(さとうのように甘い、という意味も含まれているようです)
佐藤錦の実は美味しいけれども雨により実割れしやすく(遠藤さんも仰っていました)、割れてしまったものは出荷できません。そのため、栽培が始まった頃は梅雨を避けて熟す前の黄色い状態で収穫されることが多かったのです。これだと本来の美味しさが引き出せないことになってしまいます。
しかし昭和60年代から大型のビニールハウスが普及するようになり、雨による実割れが大幅に減少しました。そのため完全に熟すまで育てることが可能となり、佐藤錦本来の美味しさを引き出すことができるようになりました。これを境に、山形県内の農家に佐藤錦が広まっていったのです。
もしかしたら佐藤錦が高価なのは、ビニールハウスが普及する以前の希少な完熟果実の価格の名残なのかもしれませんね。
山形県のさくらんぼ生産量は日本一です。
収穫量(t) 出荷量(t)
全国 19,700 17,500
1 山形 14,300 12,600
2 山梨 1,260 1,200
3 青森 807 651
(平成22年度 農林水産省 果樹生産出荷統計より)
2位以下に圧倒的な差を付けていますね。
山形県内では、東根市、天童市、寒河江市の3市で県内収穫量の6割を占めています。
そもそも、なぜ山形県でこれほど栽培されるようになったのでしょう。
きっかけは明治8年(1875年)。
内務省勧業寮から山形県に西洋果樹の苗が配布されました。
その中にさくらんぼの苗もあったのです。
雨に弱い品種なのに収穫時期が梅雨と重なり、収穫後の日持ちもしないさくらんぼは、初めの頃は生産量が伸び悩みました、
しかしもともと山形県は、梅雨の時期に雨が少なく、夏は暑く、強い風も吹かないという、さくらんぼが育つのに適した気候でした。
そんな気候条件に、佐藤錦の開発やビニールハウスの普及のおかげで生産量が飛躍的に向上し、日本一のさくらんぼ県になったのです。
ちなみに、明治8年には青森県にも果樹の苗木が配布されています。その中のりんごが今の青森りんごの始まりになっています。
旬の時期に旬のものを食べる。
幸せですね。
「えんちゃんふぁみりぃ農園」
住所 : 山形県天童市大字貫津63
電話・FAX : 023-653-7870
携帯 : 090-4630-8753(遠藤)
※さくらんぼ狩りは基本的に行っていません(今回は御厚意で畑を見せていただきました)
※ホームページはまだないようです。
/* ----- 天童市 - 山形 - 2012 - Nikon D700 ----- */
by kidai_y
| 2012-06-21 23:26
| 写真:日本